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関の秋風
蚊てふ虫もにくさは劣るべくもあらず、夏の夕凉しさにはしいして、笛のしやうかなんどいへば、はや其声おしるべに飛来りて、己が名呼ぶ声いとうるさし、蚊やりふすぶれど、煙薄きほどは、猶立さらず、人もたへかぬる頃、かれもしばし立行侍るお、其隙お得て、帳打たれつゝ、今宵は安くいぬべかめるとおもふ内、耳のあたりに声して、枕、のあたりさらぬぞいとにくし、紙燭もて焼殺してんと思へば、起あがるほどのわびしければ、人呼出して焼尽せよといへば、しそく持ありくまゝに、ほかげの目にてりて、ねむさいとたへがたし、顔にとまりてさすお、はやり打にうてば、多くもらしつ、腹ふくるゝばかり吸せてうてば、血うち散りて穢らはし、たゞ手と足のうらさしたらんは、かゆさもそことさすべうもなく、ひたかきにかきてもあたらずいとくるし、昼の程も調度ならべおくかたはらより、忍びやかに出て害ふのみ、足に白き斑ありて、全体黒くたくまし、秋の末つかた、やゝ夜寒の頃、この虫も夏の程の年わかくわざ勝れたる心にて、ひたすら打とまりてさせども吸ども、おのが口はし、七つ八つにさけたれば、心ばかりにて、わざおとりするぞ愚なる、