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比古婆衣

玉蜻考
万葉集の歌に、玉蜻蜓、玉蜻、珠蜻など書るお、前の人々、かぎろひとよみ来れゝど、〈蜻蛉おかぎろひといへること、古書どもに見あたらず、〉おのれはたまかぎろとよむべく、おもへるよしあるおいはむとす、其はまづ本草和名に、〈○中略〉和名加岐呂布とみえ、〈○註略〉万葉に陽炎お蜻蜓火、蜻火など火の字お加へて作るおおもへば、そのかみ加岐呂布お加岐呂、また加岐流ともいひ、そが中の一種に、玉加岐呂といふがありて、其お玉加岐流とも呼べりと知られたり、然るに倭名抄に、〈○中略〉蜻蛉一名胡〓〈和名加介呂布○中略〉と注されたるは、加岐呂布といふは、古名にて、当時なべて加介呂布といへるにあはせて、注されたるなるべし、医心方には加岐呂布、又加太千、又加介呂布と注されたり、壒囊抄にも蜻蛉といふは、大小のとんばうの総名なりと雲へり、さて万葉に玉蜻蜓、玉蜻など書るは、たまかぎろとよみて、今俗にやんまと呼ぶものなるべし、〈○註略〉玉とは頭の大なる目ごめにあるが、透徹りて玉のごとく目にたちて見ゆる故に、玉かぎろと呼たるなるべし、〈○中略〉さて此虫おかぎろふといふ義は、春の日影によりて見ゆるかぎろひにたとへたる名なるべし、さてそのかぎろひといふは、広野などにて、春の日に影ろひて、中天に起昇る気の見ゆるおいふ名にて、万葉集に、かぎろひのもゆる荒野、かぎろひのもゆる春べなど見えて、漢名陽炎、遊糸、野馬などいへる、これに当れり、後世にかげろふといふこれなり、〈○註略〉さて此虫の多く中天お微に飛ちがふさまお陽炎にたとへて、かぎろひといひ、まだかぎろともいひ、其おまだかぎるとも転じいへるにて、かげろふといふも、かぎろひお転じていへるなるべし、