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壒囊抄

此国の名お秋津島と曰、慇馭盧島と曰、並に扶桑国と雲は如何、〈○中略〉 次秋津島とは、神武天皇此国の形お廻り望み給ひて、蜻蜓臀呫の如くあるかなと、の給しより、此名ありと雲雲、其お今秋津島共、又秋津洲共曰也、洲は国の義也、蜻蜓おば俗にとんぼう(○○○○)と雲虫也、又かげろうとも読なり、又蜻蛉共書く、同虫也、韻会に曰、蛉は蜻蜓(あきつお)也と、説文に曰、蜻は蜻蚓也と、広韻には蟋蟀の類と尺し、爾雅には虫と尺して曰小蝉と也、韻会に曰、蜓蜻蜓虫の名、飲露お、六足四翼にして、羽薄して如蝉の尺せり、此国の形ち、此とんばうの姿に似たる故の名也、其蜻蜓(あきつお)今秋津と書成也、〈○下略〉