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日本書紀
十四/雄略
四年八月戊申、行幸吉野宮、庚戌、幸于河上小野、命虞人駈獣欲躬射而待、虻疾飛来〓天皇臂、於是蜻蛉(かけろふ/○○)忽然飛来、齧蝱将去、天皇嘉厥有心、詔群臣曰、為朕讃蜻蛉歌賦之群臣莫能敢賦者、天皇乃口号曰、野磨等能、鳴武羅能陀該爾(おむらのたけに)、之之符須登(しヽふすと)、拖例柯挙能居登(たれかこのこと)、飫褒磨陛爾麻鳴須(おほまへにまおす)、〈一本以飫褒磨陛爾麼鳴須易〓褒枳珍爾麻鳴須〉〓褒枳弥簸(おほきみは)、賦拠鳴枳柯斯題(ふこおきかして)、拖磨磨枳能(たまヽきの)、阿娯羅爾佗佗伺(あぐらにたヽし)、〈一本以陀陀伺易伊麻伺〉施都魔枳能(しづまきの)、阿娯羅爾陀陀伺(あぐらにたヽし)、〈一本以陀陀伺易伊麻伺〉施都魔枳能(んづまきの)、阿娯羅爾佗佗伺(あぐらにたヽし)、斯斯魔都登(しヽまつと)、倭我伊麻西磨(わがいませば)、佐謂麻都登(さいまつと)、倭我陀陀西磨(わがたヽせば)、佗倶符羅爾(たくぶらに)、阿武柯枳都枳都(あむかきつきつ)、曾能阿武鳴(そのあむお)、婀枳豆波野倶譬(あきつはやくひ)、波賦武志謀(はふむしも)、飫褒枳弥爾磨都羅符(おほきみまつらふ)、儺我柯陀播於柯武(ながかたはおかむ)、婀岐豆斯麻野麻登(あきつしまやまと)、〈一本以婆賦武志謀以下易柯矩能御等難爾於婆武登蘚羅弥豆野磨等能矩爾鳴婀岐豆斯麻登以符〉因讃蜻蛉名此地為蜻蛉野、