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牛馬問

東武深川に、本誓寺といふ寺有、〈○中略〉池上の樹間に、大なる蜘蛛の、いとはかなくもかけ渡る有様に、浮世お観じながめたるに、一つの蜂飛過る、あやまつて蜘蛛の家にかゝる、蜂は羽うつて逃んとし、くもは糸おちらして繫んとす、暫く挑闘ひしが、竟に蜂はにげ去ぬ、蜘蛛は破たる家お捨て、直に池中に下り、荷葉に落て、其荷葉お廻る事、幾度といふ事おしらず、見るうちかの荷葉次等々々にしぼみよりて、其かたち括囊のごとし、くもは其うちに入て、見る事なし、其間に数万の蜂むれ来る事、霧の降るに似たり、〈○中略〉蜂池上にみちて、色目お不分、暫く有ていづちともなく散失ぬ和尚又庭中に出て見るに、右括囊の如くなる荷葉、蜂螫てそのあと、生絹の如し、斯あるうへは、此郭に籠るとも、此くもの命たすかるべきにあらずとおもひ、彼囊のごとくなる荷葉お穿て見れば、蜘蛛は糸お下し、其身空中に懸り居たれば、何の恙もなくてありし、恐しの蜘のふるまひかなと、和尚の物語しといへり、