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梅園日記

斗々
按ずるに、類説は宋の曾慥が編集にて六十巻あり、此文は十三巻に、北戸錄お載て、南朝呼食為頭、以魚為斗、梁科律生魚若干斗と見えたり、さて南朝にては、〈宋斉梁陳などは、江南に都ありし故、南朝といふ也、〉食おかぞふるには幾頭といひ、魚おかぞふるには幾斗といしひ也魚お斗といひたるにはあらず、其証は上件の事お北戸錄全本にて見れば、下巻にありて雲、前朝短書雑説、即有呼食為頭、〈梁元帝、謝賜浄饌一頭雲、瑶器自満、金䁀流味、漿含都蔗、味資石蜜、又謝賚功徳食一頭雲、天厨浄饌、菴羅法果、劉孝威謝賜聖僧余福果食一頭雲、五杏七桃、霊瓜仙棗、〉以魚為斗〈梁科律、生体若干斗、〉とあるにて知べし、また墨荘漫錄雲、呉中魚市以斗計、〈一斗為二斤半〉松陵唱和、皮日休釣侶詩雲、一斗霜鱗換濁醪、注雲、呉中買魚論斗、酒即称斤、其来遠矣、〈通雅に呉中市魚以斗計、一為二升半とある升は、斤の誤なり、〉これにていよ〳〵明らか也、