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経済要錄

飼魚第二
大海に遠く隔りたる国は、鮮魚に乏きこと往々皆然り、故に雞豚狗彘の畜、其時お失ふこと無しと雖も、人民常に厚味の食物の足らざるに困む、且又皇国は、土地に比すれば人民甚だ多く、漢土の如く数罟汚池に入らざる而已にて、魚鼈勝て食ふべからざるの多きに至ること能はず、是故に魚類お飼ひ作るの法あり、海浜に遠き国に於ては殊更必用の事なり、乃沼池溝等、凡地窳にて水の溜る所には鯉、鮒、鰻鱧、鯰、渓鰛(あゆ)、鰷魚(はや)、円魚(すつぽん)、泥鰌(どじやう)の類お飼ひ、流水には鱸魚(すヾき)、鯔(ぼら)、䰵(いな)、鱊(しらす)、闌胡(はぜ)、石伏魚(ごり)、紅蝦(えび)、白魚(しらうお)、蜆の類お作るべし、此等の魚は各自に養ふ法ありて、能く其法お行ふときは、火しく滋息して、暫時の間に成長する者なり、会津や信濃にては、鯉お飼に養蚕の糸お取たる跡の蛹お用ゆ、鯉鮒の類は蛹お食ふときは、甚だ成長の速なる者なふ、然れども飼法の甚だ猟遏なるお以て、成長するも快疾ず、且又大は小お食ふが故に、蕃息すること甚だ少し、若夫鯉お飼はんことお欲せば、池お小大五段に分て、小魚おば小池、中小おば第二の池、中魚は第三の池、中大は第四の池、大魚は第五の池と、次第に分て此お飼ふべし、右の如く意お用て食物も蛹に軟葦根、糠核(ぬかこヾめ)、胡麻、蘇麻(えごま)、芸薹(あぶらと)等の仁の油糟とお、各自の魚の食料に、適宜に水お調和し、鍋に入れて微火にて煉り、遍く此お与へ、或は魚子の微細なる間は、少しく鶏卵、鵝卵等お加て養ふときは、暫時の間に成長する者なり、小大は意お用て右の食物お丸じ、小丸は小魚に食しめ、大丸は大魚に飼て、此お養ふときは鯉鮒、鯰の類は、三四箇月の間に、其長さ二尺に近き嘉魚と為る者なり、其他の魚お養ふも、大同小異ありと雖も、為し難き者あること無し、鰷魚(はや)、鰻鱧等も亦皆長じ易し、宜く法お行ひて、火しく蕃息せしめ、大に此お成長して、以て国家の食物お豊饒にし、余る所おば此お他邦に輸すべし、抑此飼魚の法は、啻に海なきの国のみならず、潮夕の大江及び内洋等の中にも鯔(ぼら)、鱸(すヾき)、鱠(きす)、〓(いしもち)、鰈(かれい)、鯃(こち)等お養ふべく、且又鰒魚(あはび)、拳螺(さヾひ)、牡蠣(かき)、蚶子(あかヾひ)、蛤蜊(あさり)、文蛤(はまぐり)の類も、種児お持来て此お植作るときは、何れも火しく蕃息する者なり、江戸の内洋の貝類、及び麪条魚(しらうお)の繁庶なるも、其最初は皆東照神君の植させ賜ふ所なり、又肥後国熊本城下の貝類あるも、近来国侯細川家の賢臣と称したる、堀平太左衛門の植られたる所なりと雲ふ、国家に長たる者の、熟察すべき所なり、