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守貞漫稿
六/生業
鮮魚売 三都とも俗に肴屋と雲
枯魚売 同枯魚お俗に塩もの乾物とも雲、鮮魚のみうるあり、或は枯魚お兼て売るあり、京都と江戸の魚売如此、〈○図略〉大坂に毛如此もあれども、専ら鮮魚のみお売る者は、大坂住の者に非ずして、泉の堺より来る者と、摂の尼げ崎より出る者也、京坂食用の鮮魚は、堺より出るお上品とし、美味とし価も他に倍す、堺尼ともに夜中彼所に魚市お行ひ、未明より発して大坂に至り、専ら市民得意の家に予ふのみ、或は得意無之者は、市中お呼び行く、これお俗にふりうりと雲、他賈も准之、得意ある魚売は、五節及び土神祭祀等の日は、僕両三人お供して、魚籠二三荷お持巡る、江戸には如此者は無之、僅の魚数お持巡る、
又大坂三四月には、鯛及び鮹甚ぐ多く、価廉にして味美也俗此節お魚島と雲ふ、当節呼声平日より華かに高く呼ぶ、其詞に曰、たいやたいなまだぞまたひヽと呼び行也、又尼、堺より出る者、夏月には衆賈一様の襦半お著す、地白檰に紺の大名縞也、他色お無用者也、江戸の魚売は、四月初松魚売お盛なりとす、二三十年前は初て来る松魚一尾価金二三両に至る、小民も争て食之、近年如此昌なること更に無之、価一分二朱、或は二分ばかり也、故に魚売も其勢太だ衰へて見ゆ、
江戸魚賈の荷ふ所の図、〈○図略〉もつこの上に籠お置き籠に半台お置き、半台は桶の名也、半台及籠ともに楕円形也、
漁村より諸魚お三都の市に漕す魚籠、京坂は楕円形闊く、江戸は狭し、〈○中略〉魚賈の追書、大坂魚賈のこと、泉堺と摂の尼け崎、略して尼とのみも雲、前には此二所のみお挙ぐ、追考するに甚誤けり、大坂の西北隅に雑喉場と称す、官許の魚市あり、其行江戸の魚市に及ずと雖ども、又小行ならず、蓋堺市に出す魚類、近海に漁する所なるべし、此故に自ら肉肥て味美也、尼け崎及びざこばに出すもの、遠海より来る故に味肉ともに劣れり、価も大略堺魚の半価とす、江戸は本材木町字して新魚場、略して新場と雲所の魚市は、相の三浦三崎金沢等近海より出るお以て魚美味、本船町及び小田原町に漕すは、総房其他遠海の漁魚故に劣れりとす、江戸は漁村より、右の魚問屋に贈り、問屋より仲買と称す魚賈に分ち、仲買よりぼてと雲小賈に売る、売て後に直お定めて、仲買より問屋に価お収む、
大坂も雑喉場問屋へ漁村より贈る、問屋にては一夫台上に立ち、魚籃一つ宛お捧げ、さあなんぼ〳〵と雲、さあは発語、なんぼは何程の略也、此時大坂市中魚賈群集し、口々所欲の価お雲、其中貴価なる者に売与す、これお市お振ると雲、堺尼ともに彼地に於て此行おなす、故に大坂市中お巡り売る魚賈、多くは江戸に雲仲買に比すべき者なり、又仲買より伝買して売る、小魚賈も有之、