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用捨箱

鎮鍮屋の金魚
江戸鹿子〈貞享四年〉に、金魚屋下谷池の端しんちう屋重左衛門と記し、又同所に地張きせる屋、しんちう屋市郎右衛門とあれば、重左衛門も原は烟管屋にてありしなるべし、
向之岡〈延宝八年〉 納凉 影凉し金魚の光り鎮鍮屋 調栬
延宝中より名高き金魚商人(○○○○)なりし事、此句にて知らる、〈○中略〉
再雲、此置土産〈○元禄六年印本〉の目錄に、金魚が狂言もふるしといふ事あり、是より前元禄紀年に刊行せし風流盛衰記に、又の日は金魚お生舟にあつめ狂言おさせけるが、是もつひ水になしてといふ事又あり、按るに金魚の狂言とは、彼魚水中に宛転し、踊り狂ふさまする事か、今菊お植る者、狂ひ咲して花形の変ずるお、芸があるといふ類ひにやあらん、此事発句には古く見えたり、左に抄出、
新続犬筑波集〈万治三年季吟撰完文七年刻〉 おどれるや狂言金魚秋の水 松滴