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北越雪譜
初編人
鮏の始終
我国の鮏は初秋より北海お出て、千曲川と阿加凡の両大河に遡る、これ其子お産んとて也、女魚に男魚随てのぼる、遡る事およそ五十余里、河に在事およそ五か月あまり也、その間に〈八九十十一十二月〉人に捕る、とられざるは海へ帰る、故に大小あり、子お産つける所は、かれが心にありて一定ならずといへども、千曲と魚野の両河の合する川口といふより、沙に小石のまじるゆえ、これよりおおのれが産所とし、流れの絶急(はげし)からぬ清き流水の所に産也、うまんとて鮏の搶(つれ)て群るお、漁師のことばに掘(ほり)につく、ざれにつくともいふ、〈沙おほるにさま〴〵のかたちおなすゆえ、ざれことのざれならん、〉女魚男魚ともに尾おもて水中の沙お掘る、その広さ一尺あまり、深さ七八寸、長さ一丈あまり、数日にしてこれお作る、つくりおはれば女魚そのなかへ、鮞(こ)お一粒づゝ産む、うむお見て男魚己が白䱊(しらこ)お弾著(ひりつけ)、直に女魚男魚掘のけたる沙石お左右より、尾鰭にてすくひかけて鮞お埋む、一粒も流さるゝ事おせず、さて此一掘に産おはれば、又それに並て掘りては産、うみてはほり、幾条もならべほりて、終には八九尺四方の沙中へ、行義よく腹の子おのこらず産おはる、或は所お替ても産とそ、沙に小礫の交りたる所にあらざれば産ずと漁師がいへり、その所為人の智におさ〳〵おとらず、産終るまでの困苦のために、尾鰭お損ひ身痩労れ、ながれにしたがひてくだり、深淵ある所にいたれば、こゝに沈み居て労お養ひ、もとのごとく肥太りて再び流に遡る、掘につきたる時は、漁師もこれおとらず、たま〳〵捕るものあれども、強てはせぬ事也、女魚さへとらざれば、男魚は其所おさらず、鮏の河に遡るは、子お産んとて也、その女魚に男魚随てのぼるは、子の為に女魚お助くるならん、これも又人の心にことならず、さて奇なる事は、河の広き場にて、かれ鮞お産おきたる所、洪水などにて瀬かはりて河原となりしが、幾とせたちても産たる子腐ず、ふたゝび瀬となれば、その子生化して鮏となる、一年我が住む所の在にて魚野川のほとりに住む人、井お掘りしに、鮞の腥ないおほりいだせし事ありしと友人がかたりき、鮞の生化するお、漁師のことばに、はやけるとも、みよけるともいふ、〈早化(ほやける)、身(み)よ化(け)るならんか、〉鮞、水にある事十四五日にして魚となる、形ち糸の如く、たけ一二寸、腹裂て腸おなさず、ゆえに佐介(さけ)の名ありといひ伝ふ、春にいたれば長じて三寸あまりになる、これおばかならず捕らの事とす、此子鮏雪消の水に ひて海に入る、海に入りてのち裂たる腹合して腸おなすと漁父がいへり、