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北越雪譜
初編人
鮏お出す所
鮏は今五畿内西国には出す所お聞ず、東北の大河の海に通ずるには鮏あり、松前蝦夷地最多し、塩引として諸国へ通商(あきなふ)は此地に限る、次には我が越後に多し、又信濃、越中、出羽、陸奥也、常陸にもありときゝつ、これらの国の鮭は、その所の食にあつるに足るのみ、通商するにたらず、江戸は利根川にありといへども希なるゆえ、初鮏は初鰹の価に旡すとぞ、我国にては毎年七舟二十七日、所々にいる諏訪の祭りの衣の千より、鮏の漁おはじめ、十二月寒のあけるお漁の終りとす、古志の長岡魚沼の川口あたりにて、漁したる一番の初鮏お、漁師長岡へたてまつれば、例として鮏一頭に〈一頭お一尺といふ〉米七俵の価お賜ふ、〈第五ばんまでなり、たてまつるさけには寸尺定めあり、俵のかず下る、〉鮏の大なるは三尺四五寸、小なるも二尺四五寸也、〈猶小なるもあるべし〉男魚女魚の名あり、めなは子あるゆえ、おなよりは価貴し、五番まで奉りて后お売る、初鮏の貴き事おしてえるべし、これお賞する事、江戸の初鰹魚におさおさおとらず、初鮏は光り銀のごとくにして、微青みあり、肉の色紅おぬりたるが如し、仲冬の頃にいたれば、身に斑の錆いで、肉も紅い薄し、味もやゝ劣れり、此国にて川口長岡のあたりお流るゝ用にて捕りたるお上品とす、味ひ他に比すれば十倍也、僅に其地お去れば味ひ美ならず、その味ひ美なるものは、北海より長江お遡りて、困苦したるの度にあたれるゆえならん、魚急浪に困苦ば、康ひかならず甘美もの也、北海の魚の味ひ厚と、南海の魚の味ひ淡の差ひあるがごとし、