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字治拾遺物語

これもいまはむかし、越後国より鮭お馬におほせて二十駄ばかり、粟田口より京へおひ入けり、それにあはだぐちの鍛冶が居たるほどに、いたゞきはげたる大童子のまみしぐれて、物むづかしうおもらかにも見えぬが、この鮭の馬の中に走入にけり、道はせばくて、馬なにかとひしめきけるあひだ、この大童子走そひて、鮭お二つひきぬきてふところへひき入てんげり、さてさりげなくて走さきだちけるお、此鮭にぐしたる男見てけり、走先立て童のたてくびおとりて引とゞめていふやう、わせんじやうは、いかでこの鮭おぬすむぞといひければ、大童子さる事なし、なにおせうこにてかうはの給ぞ、わぬしがとりてこのわらはにおほするなりといふ、かくひしめくほどにのぼりくだるもの市おなして、ゆきもやらで見あひたり、さるほどにこの鮭のかうちやうまさしくわせんじやうとりて、ふところに引入つといふ、大童子は又わぬしこそ、ぬすみつれといふ、時にこの鮭につきたる男せんずる所、我も人もふところお見んといふ、大童子さまでやはあるべきなどいふほどに、この男はかまおぬぎてふところおひろげて、くは見たまへといひてひし〳〵とす、さてこのおとこ大童子につかみつきて、わせんじやうはや物ぬぎたまへといへば、わらはさまあしとよさまであるべきことかといふお、この男たゞぬがせにぬがせて、前おひきあけたるに、こしに鮭お二つはらにそへてさしたり、男くは〳〵といひて出したる時に、この大童子うちみて、あはれ勿体なき主かな、かうやうにはだかになして、あざらんには、いかなる女御后なりとも、こしにさけの一二尺(○○○○○○)なきやうはありなんやといひければ、そこらたちとまりて見けるものども、一どにはつとわらひけるとか、