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倭訓栞前編
二十四/波
はらか 和名抄に鰚魚およめり、されど所出未詳といひけり、新撰字鏡同じ、又〓お訓ぜり、江弐第、官曹事類、風土記には鱒也といへり、式に腹赤と書り、らにあの音こもれるおもて、はらかといへり、腹黒の反なれば、腹赤の贄お奏するも、赤心の表示なるべし、神代紀に赤心おきよきこゝろとよめり、元日に腹赤の贄の奏あるは聖武天皇より始れり、年中行事の歌に、 はつ春の千代のためしの長浜につれるはらかも我君のため
長浜は肥後国にあり、玉名郡長渚浜より出て、爾倍魚と号す、今北浜に鯛お焼て売れり、景行天皇の故事なるよし風土記に見えたり、今其所お腹赤といへり、供御の池あり、伊勢国河曲郡に長太(ながふ)村あり、此村より大神宮にはらかの御贄お献ず、鱒也、