[p.1350][p.1351]
百家琦行伝

田中丘隅右衛門
丘隅えもんは、原(もと)東海道川崎宿の問屋場の人足なりしが、其器量衆に秀たるおもて、問屋役人となりしが、竟に止事なき御方の御とり立にあひて、大禄の武官となれり、はじめ川崎宿にありし頃、近郷に妻の母のありけるが、丘隅えもん一時この丈母のかたへ時候の見まひに行んと思ひ、何がな土産にもて行べしとて、近隣にて網おかりて川猟おなしけるに、鱨(ぎゝう)といへる魚一尾とり得たり、さらば是お人事にすべしと、頓て携へて丈母のもとへ急ぎけるが、隻有山裏にて狩人の網おはり置し、其中に雉子一羽かゝりて、ばたばたと羽たゝきして在けり、時節猟師もあたりに見ず、丘隅えもん是お看著、しうとめへの人事にせんには、這鳥こそ好りけれとて、忽ち彼雉子お奮ひとり、持来し鱨お網の裏へうちこみおき、這処おはせ去けり、其跡へかの網おかけおきたる猟師きたり、件の鱨お看て大いにおどろき、是いかに水中に住べき魚の、山中の網にかゝりしは心得がたしと、頓て同輩のものお呼来りて看せければ、いづれも驚き、是凡事にあるべからずとて、頓て陰陽師に卜しめけるに、是ひとへに山神の祟なり、快くこの魚お神に祭るべしと示しける程に、無智の愚民どもこれに従ひ、俄に村中銭お集めて、たちまち一個の祠おたて、華表瑞籬まで造立、かの鱨お大明神と勧請しけり、其后一日大いに風雨ありて、乾坤震動したりける、村民これお神変とこゝろ得、次の日鱨大明神へ湯花おさゝげ神楽お奏しける、巫祝売(まいす)主らこれに窺罅(つけこみ)、何がな不思議おあらはして、金まうけせんと思ひ、山神の祟いまだ鎮らず、猶も不日に山くづれ海あふれて、這ほとり一円の泥海となり、郷人おほく死べしと託宣なりと雲けるにぞ、村裏の愚民大いにおどろき、再般おほくの銭お集め、巫祝等おたのみて、神鎮の神事お執行ふべしと鬩あひける、丘隅えもん是お聞て、暗におかしく、一日彼村にいたり、おのれは川崎宿の田中丘隅えもんといふ者なり、鱨大明神の祟それがし鎮まいらすべし、仮令いかなる事お作とも、かならず驚き給ふべからずと雲おきて、頓て彼祠お打やぶり、鱨お瓶の中より扯(ひき)いだし、灯明の火お以てほこら華表お薪とし、かの鱨お炙物としのこりなう喰尽し、神酒に備し酒うちのみ、其儘我家へかへりけり、是お看村民ども大いに騒ぎ、山神の祟このゝち大いに来るべしとて、隻管騒ぎあへりけるが、其后何のたゝりもなし、後に丘隅えもん御とり立に成しとき、御役にて這処へ来り、這事くはしく説語れしとなり、