[p.1354][p.1355]
今昔物語
二十
出雲寺別当浄覚食父成鯰肉得現報忽死語第卅四
今昔、上津出雲寺と雲ふ寺有り、建立より後年久く成て、当に倒れ傾て、殊に修理お加る人無し、〈○中略〉此の寺別当は妻子お相ひ具せる僧の成り来れば、近く別当有りけり、名おば浄覚と雲、此れ前の別当の子也、而る間浄覚が夢に、死たる父の別当極めて老旄して杖お突て来て雲く、我れは仏の物お娯用の罪に依て、鯰の身お受て、大きさ三尺許にして、此の寺の瓦の下になむ有る、可行き方も無く、水も少く狭く、暗き所に有て、苦しく詫しき事無限し、而るに明後日の未時に大風吹て、此の寺倒れなむとす、而るに寺倒れなば、我れ地に落て這行かむに、童部見て打殺してむ、其お女ぢ童部に不令打して、桂河に持行て可放し、而らば我れ大水に入て、広き目お見、楽くなむ可有と告ぐと見て夢覚ぬ、其後浄覚妻に此夢お語れば、何なる夢にか有むと雲て止ぬ、其日に成て午時計に俄に掻き陰りて、大きなる風出来ぬ、木お折り屋お壊る、諸の人風お追ひ家お疏ふ、然れども風弥よ吹き増て、村里の人家皆吹き倒し、野山の木草悉倒れ折れぬ、而るに未時計に成て、此の寺吹き被倒ぬ、柱折棟崩れて倒ぬれば、裏板の中に年来雨水の たりけるに、大なる魚共多く有けるに、庭に落たるお、其辺の者共桶お提て掻入騒ぐに、其の中に三尺、計の鯰這出たり、夢に違ふ事無し、而るに浄覚慳貪邪見深きが故に、夢の告お念も不敢ず、忽に魚の大きに楽気なるに耽て、長き金杖お以て魚の頭に突立て、太郎子の童お呼て、此れ取れと雲へば、魚大きにて取られ子ば、草苅鎌と雲ふ物お以て鯰お掻切て、葛に貫て持行て、他の魚どもなど始て桶に入れて、女共に令戴て家に行たれば、妻此の鯰お見て雲く、此鯰は夢に見えける鯰にこそ有ぬれ何に殺ぞと、浄覚が雲く、童部の為に被殺むも同事也、敢なむ我れ取て他人不交して、子共の童部と吉く食たらむおぞ、故別当は喜と思さむと雲て、つぶ〳〵と切て、鍋に入て煮て吉く食ひつ、其後浄覚が雲く、恠く何なるにか有らむ、他の鯰よりぞ殊に味の甘きは、故別当の肉村なれば吉きなめる、此汁飲れよと妻に雲て、愛し食けるに、大きなる骨浄覚が喉に立て、えつ〳〵と、吐逆ける程に、骨不出なりければ、遂に死けり、而れば妻心疎がりて、此の鯰お不食なりけり、是れ他に非ず、夢の告お不信ぜして、日の内に現報お感ぜる也、思ふに何なる惡趣に堕て、量無き苦お受くらむ、此れお聞く人皆浄覚お謗り〓けりとなむ語り伝へたるとや、