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倭訓栞
前編十/佐
さめ 鮫魚おいふ、新撰字鏡に台、又鰹などもよめり、台延喜式も同じ、狭眼の義也、体よりは眼の至て細きものなり、出羽の方言さがばふ(○○○○)といふ一説に鯊皮の音転也ともいへり、朝夷の義秀、水練の聞えありて、海中に入て鮫三喉お提げ出し事東鑑に見えたり、志摩国伊雑宮の田殖の神事に、鮫二喉づゝ浦口まで来り、又立帰る、例年の事也とそ、〈○中略〉刀剣の〓鞘などに用るは、本草音義に、鮫魚皮、装刀〓也と見え、後漢志に以白珠鮫為〓口之飾といひ、呉都賦の鮫函おさめざやと訓しは、欧陽公が、魚皮装占香木鞘といへる者也、呉物志に、背上有甲珠文、堅弦可以飾刀、可以為鑢と見えたり、西土の刀装も日本にひとしといひ、今も骨角おおろすにも用ゆ、ねこざめ(○○○○)は虎鯊、あゆざめ(○○○○○)は胡沙魚也といへり、倭名抄に散豆帯あり、壼井氏さめのおびとよめり、鮫珠おいふにや、