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古事記伝
三十一
此魚の依れるは、大神の太子に、御饌の料に献り給へるにて、即是かの易名の幣の物なり、さて今此魚の悉く鼻の毀れたる所以は、大神の既に捕らしめて献り給ふ由なり、〈その令捕賜ふは、幽事なれば、人の目には見えず、〉さるは古に此魚お捕るには、鼻お衝てぞ捕つらむ、故鼻の毀れてはありしなり、〈(中略)入鹿はいかにして捕にかしられども、此段お以て思ふに、古必鼻お衝て捕しなるべし、組国の熊野浦の漁人の語りけらくは、此魚多くは長八九尺ばかりあり、中に最大なるは一丈二三尺ばかりなるもあるなり、入鹿の千本づれと雲て、頭おもたげて、おびただしく群来る物なり、逃こといと早くして、船おいかに早くこぎても追及がたし、故これお捕るには、毛理と雲物に、夜那波、とて四十尋の縄おつけ、其端に泛お付て、その毛理お投る、此毛理お負ながらなほにぐるお又二の毛理お投て捕なり、さて一つ捕れば必二つ捕らるゝなり、其故は一つが毛理お負て逃るに後れぬれば、友おあはれむにやあらむ、群の内の今一つ必後れて遠くは去らざろ故に、それおも捕なりと語りき、抑毛理は虚空へ高く投上げれるが、魚の上に至りて、そらよりまくだりに落降りて其魚お衝物なり、かくて入鹿は、鼻の上に向ひたれば、その鼻お衝べきなり、然らざれば毀鼻と雲こと由なし、谷川氏が、蓋此魚鼻向上而有声、故雲毀鼻と雲るは心得ず、こはから書に海豚鼻在脳上作声噴水直上と雲るに依て雲るなれど、其は凡て此魚の常なれば、分て殊に、毀鼻と雲べきに非るおや、〉