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世事百談
えらぶ鰻(○○○○)
琉球よりわたる三味線の皮は、実は海蛇皮にはあらで、かの国に産するえらぶ鰻とて、漢名お慈鰻と雲ふものゝ皮なり、えらぶは島の名にて、その島は薩摩と琉球との間にありて、口のえらぶ、中のえらぶなどゝ唱へて、二つ三つある島と見えたり、中山世譜などにも島の図はありとおぼゆ、この島に住むゆえに、名づけてえらぶ鰻といへりとそ、いと得がたきものにて、常に島の岩窟に海よりあがりて住み、ことに冬にいたれば、かの鰻の総身へ、落葉おまとひつけて、窟の中にかくれ臥す、そこへは島に住める人といへども、なか〳〵往きがたきけはしき海岸なり、琉球よりは十里ばかり、南にいとまんといふ島あり、その島人つねに裸にて、海中お自由に往来すといへり、その島人が楠の独木船に乗り、かのえらぶ島にわたり、小刀お携へ、水中より海岸の窟にのぼり、かの鰻おとらへて、刀にてさしとほし〳〵して取るといへり、小さきは二三尺、大きなるは壱丈にあまれり、その大きなるものは三尺ほどづゝに切りて、舟に積みかへると、中陵翁のものがたりなり、