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提醒紀談

烏紀々(うきゝ)
陸奥国岩城の海中に満方(まんばう)といふ大魚お産す、世に烏紀々といふものは、その腸にして、土人は百葉(ひやくひろ/○○)と雲、さるお他邦の人は満方と雲ものなるお知らずして、たゞ烏紀々とのみ称するは訛れり、然れども俗間に称する如きは、もとより論ずるに足らず、貝原氏が大和本草に烏紀々お別物とす、蒙説といふべし、〈○中略〉抑この魚冬春かけて少くして夏秋は多し、その大なるもの二三丈ばかりもあるべし、これお捕へ得るものことに希なり、尋常のものは七八尺より三尺に足らざるものに及べり、その性甚鈍くして、海上に浮みながら熟睡して、猟船の近くおも知らず、かゝれば漁人軽舟に乗りて、銛お以て抛てこれに中て、多くの人力お併せて捕るなり、さてすぐれて大なるは、海上にて切割て、これお配分するなり、〈牛魚図説〉