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採薬使記

重康曰、奥州おなの浜と雲ふ所より、うきヽと雲ふ魚あり、其魚の餌袋おとり、乾して久痢に煎じ用ひて功ありと雲ふ、袋計取て外は皆な五穀の糞培に用ゆると雲ふ、
光生按ずるに、うきヽ魚奥州常州の海浜多く是れお採る、其形ち海鰩(えい)の如く、小き物は五六寸、 大きなるは一二丈計、此魚性愚にして死おしらず、漁人熊手お以て留め採るに、動躍すること なし、浮木の水面に有が如し、故に名づく、古今類聚常陸国志に曰、査(うき)魚大者一丈計、小者五六尺、 扁形細鱗背上に堅皮ありて鮫の如し、三四月の間出ると雲へり、或曰、大穣海志に載する所の 鮔鮓なるべし、