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東雅
十九/鱗介
海蛸子たこ 日本紀私記に、貝蛸はかひだこといふと注したり、並に義不詳、〈たことはたは手也、こは猶海蛸子の子の如し、語助也、其手多きおいひしと見えたり、するめといひ、かひだこ(○○○○)といふ、並に不詳、即今烏賊の類に、するめいか(○○○○○)といふあるは、其大なる事、小蛸子の如くなるおいひしと〉〈見えたれど、今の如きは、小蛸子おするめといふ事は隠れて、烏賊の名の如くにはなりたり、閩書に拠るに、石距一名八帯、大者至能食猪、居石穴中、人或取之、能以足黏石拒人といふものは、倭名抄の海蛸子、今俗にいふ足長蛸也、章挙一名紅挙、似烏賊而差大、味更珍好といふは、倭名抄の小蛸魚、今俗にたこといふ是也、鱆魚一名望潮魚、腹内有白粒如大麦といふものは、今俗にいふ飯鮹なり、其大小に随ひて、各其名ありて、極て小にして蜘蛛の如くなる者お、くもだこ(○○○○)といふに至れり、〉