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牛馬問

一客有て夜話す、一人が曰、我船而海辺お過るに、舟郎が曰、希見事こそ候へ、各見物し給へとて般おとゞむ、其指す所お見れば、大なる蛇岸に臨て水中お窺ふ、水中よりは大なる烏賊、岸に向て蛇お取らんの勢ひ有、両物間近く成ければ、烏賊波お汲墨お潠て、彼の蛇にそゝぎかくれば、蛇は断々にきれて、海中に落、見るもの奇と感ぜざるはなし、其後又他に往て夜話す、客の曰、近き比或人烏賊お料理するに、彼もとより庖丁の業に疎ければ、烏賊おあらふの方おしらず、腹中の墨やぶれ、手お添所こと〴〵く黒く、殆俹(あくみ)はてたる折から、彼が児蝮にさゝれたるとて泣叫、其親大に驚あはて、彼烏賊お捨て走寄、黒き手も不厭、そこ歟こゝ歟と撫摩て、いたはるほどに、此児も真黒になりて、痛む所も見へざるに、疼暫時の間に愈て、泣おとゞめ、遊ぶ事常のごとし、皆人不審し、烏賊の墨、蝮の毒お解哉といへり、此両人の話お聞に、烏賊の墨、諸蛇の毒お解する事疑ひなし、本草に烏賊骨〈海螵蛸といふ〉蝎螫疼痛お治とあれども、墨の能お不載、姑く書して後人に備ふ、