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宇治拾遺物語
十四
いまはむかし遣唐使のもろこしにあるあひだに、妻おまうけて子お生せつ、その子いまだいとけなきほどに、日本にかへる、つまにちぎりていはく、こと遣唐使いかんにつけて消息やるべし、またこの子乳母はなれんほどにはむかへとるべしとちぎりて帰朝しぬ、母、遣唐使のくる毎に消息やあると尋ぬれど、あへておともなし、母おほきに恨みて、この児おいだきて日本へむきて、ちごのくびに遣唐使それがしが子といふ簡おかきてゆひつけて、すぐせあらば親子の中は行逢なんといひて、海になげ入てかへりぬ、父あるとき難波のうらのへんお行に、冲のかたに鳥のうかびたるやうにてしろき物みゆ、ちかくなるまゝにみれば、童に見なしつ、あやしければ、馬おひかへて見れば、いとちかくよりくるに、四ばかりなるちごの、しろくおかしげなる浪につきてよりきたり、馬おうちよせてみれば、大なる魚のせなかにのれり、〈○中略〉魚にたすけられたりければ、名おば魚養とぞつけたりける、七大寺の額どもは、これがかきたるなりけりと、