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東雅
十九/鱗介
亀かめ 日本紀私記に、亀兆伝お引て、天香山の亀津比女命、天孫この国に天降ります時に、御前に立て降り来れり、今は天津詔戸太詔戸命といぶ、これ我国亀との事の始なりと見えたり、倭名抄にも、神亀の字読てかめといふ、さらばかめとは、かみといふ語の転じたるなり、〈(中略)亀おかめといふによりて、又凡そ甲殻ある物お呼びて、かといひしと見えけり、甲は読てかわらといひ、殻は読てからといふなり、又甲の字おかふといふは、韓地の方言也、即今も朝鮮の方言かくの如し、たま〳〵彼此の語音の相合へるなり、〉