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嬉遊笑覧
十上/飲食
増補総鹿子に、〈○中略〉団魚お載ざるは、これもいと下品のものにて、売ことも希なりしにや、完永料理集に、真亀(○○)は吸ものさしみ、石がめも同といへる真亀は、すつほんおいへり、浪花にては、もとより好て食たるものなり、諸艶大鑑二世渡りとて、丸魚(すぽん)突になつて、天満におはしける、其絵おみるに、やすおもて突て取なり、元禄曾我、伏見船の乗合にて、京の人と大坂の者と、物争ひする処、大坂の人料理したすつほんがあるが、京人くゝし鹿子や紅染は、都でなければならぬ雲々、京は其頃迄すつほん食ふもの希なりしお知べし、諸芸太平記四元禄十五年板、遊女がことおいふに、たとへ納戸では、すつほんの料理おまいらうとも、それはしりてがない雲々、又元禄十七年草子、誰袖海に、京人江戸に下り居たる処、寒さは鶏卵ざけにわすれ、すつほんもくひならひ、鶏のなき内は、これもましと雲々あるおみるに、下賤の食物なり、それより完延四年の江戸鹿子新増迄は、五十年に近きに、猶産物の内にかずまへいれぬは、鮧よりも劣りたるものにてありしなり、完永七年草子伽羅女に、新地堀江の料理茶屋にて、鰻のかばやき丸亀(すつぽん)まいる雲々、難波にては、其頃うなぎと並び行はれたり、江戸は下手談義に、売卜者のことおいふ処、柳原の長堤に、泥亀の煮売と軒おならべと有、完延宝暦の頃は、此体にて、葭簀の小屋にて、今の山鯨の風情よりあさましき売物と見えたり、