[p.1594][p.1595]
今昔物語
二十八
大蔵大夫紀助延郎等唇被咋亀語第卅三
今昔、内舎人より大蔵の丞に成て、後には冠給りて大蔵の大夫とて紀の助延と雲ぶ者有き、〈○中略〉其の助延が備後の国に行て、可為き事有て暫く有ける程に、浜に出て網お引せけるに、甲の広さ一尺許有る亀お引上たりけるお、助延が、郎等共の掕し持遊けるに、其の郎等の中に年五十許なる有ける郎等の片白たる有ける、糸見苦しき虚おなむ常に好ける、其の気にや有けむ、其の男此の亀お見付るまヽに、彼れは己が旧妻の奴の逃たりしば、此にこそ有けれと雲て、亀の甲の左右の鉉お取て捧れば、亀足手も甲の下に引入れつ、頸おもつふりと引入つれば、細き口許才に甲の下に見ゆるお、此の男捧て幼き児共に、しわヽりと雲ふ事する様にして、亀来々々と河辺にて雲つるには、何と出不座ざりつるぞ、和御許は月来恋かりつるに口吸はむと雲て、細く指出たる亀の口に、男の口お指宛て、才に見ゆる亀の口お吸はむと為る程に、亀俄に頸お急と指出て男の上下の唇お深く咋合せつ、引放たむと為れども、亀の上下の歯お咋違て咋たれば、弥よ咋入りにこそ咋入れ、免さむやは、其の時に男手お披て含もり音に叫べども、可為き様も無くて、目より涙お落して迷ふ、然れば異者共皆寄て、刀の峯お以て亀の甲お打てば、亀弥よ咋入に咋入る、然れば男手掻て迷ふ事無限し、異者共は此く迷ふお見て糸惜かるに、亦外に向て咲ふ者も有けり、而る間一人の男有て、亀の頸おふつと切つれば、亀の体は落ぬ、頸は咋ひ作ら留まりたるお、物に押宛て、亀の口脇より刀お入れて頸お破て、其の後に亀の頸頤お引放ちつれば、錐の崎の様なる亀の歯共咋ひ被違にければ、其れお和ら構て〓抜きに抜く時に、上下の唇より黒血走る事無限し、走り畢つれば、其の後に蓮の葉お煮て、其れお以て茄ければ大きに腫にけり、其の後膿返つヽ久くなむ病ける、此れお見聞く人、主より始めて糸惜とは不雲で、偲み咲ひなむしける、本より片白たりける男の虚お好ければ此る白事おもして病迷ひて、人にも〓み被咲ける也、其の後は虚も不好雲でなむ有ければ、同僚の者共、其に付ても咲ひけり、此れお思ふに、亀の頸は四五寸と指出つる物お、口お指よせて吸はむとせむには、当に不被咋ぬ様は有なむや、此れは世の人上も下も由無からむ虚して、猿薬に然様ならむ危き戯れ事は可止し、此る白事して被〓み険る男なむ有けるとなむ、語り伝へたるとや、