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北条五代記

大亀陸へあがる事
聞しはむかし、関東管領上杉憲政と、北条平の氏康と、弓矢お取てやん事なし、然るに公方晴氏公、上杉と一味し、天文十四年の春、武州河越氏康城お大軍おもて取まき責る、〈○中略〉氏康此上は一合戦し、運お天にまかせ、宿意お達せんとおもひ定めらるゝによつて、伊豆箱根両所権現三島大明神へ御祈禱の義あり、〈○中略〉当所松原大明神宮寺にて護摩お修し、善行おつくし給ひぬ、然所におなじき年三月廿日の日中、大亀一つ小田原浦真砂地へはひあがる、町人是おあやしみ、とらへ持来て、松原大明禅の池の辺におく、八人が力にてもちわづらふ程也、氏康聞召、大亀陸地へあがる事、目出度瑞相なりとて、即刻宮寺へ出御有て、亀お見給ひ、仰にいはく、天下泰平なるべき前表には、鳥獣甲出現する往古の吉例おほし、是ひとへに当家平安の奇瑞、かねて神明の示す所の幸なりと、御鏡お取よせ、亀の甲の上に是おおかしめ給ひ、それ亀鏡と雲事は、さしあらはして隠れなき目出度いはれありと、御感悦なゝめならず、竹葉宴酔おすゝめ、一家一門こと〴〵く参集列候し、盃酒数順に及ぶ、万歳の祝詞おのべ給ひてのち、件の亀お大海へはなつべしと有しかば、海へぞはなちける、此亀小田原の浦おはなれずうかびて見ゆる、〈○下略〉