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甲陽軍鑑
二/品第六
一武田信玄晴信公、十三歳の御時、駿州義元の御前は、信玄のあね子にておはします、此姉子の御方より、母公へ貝おほひのためにとて、蛤おおくりまいらせらるゝ、信玄公お勝千代殿と申時なれば、御母公より、上臘おもつて、此蛤の大小お扈従どもに申付、えりわけて給はれとの御事也、即大おばえりて、まいらせられ、小き蛤、たゝみ二帖敷ばかりに大方塞り、たかさ一尺も有つらん、是お扈従びもにかぞへさせ給へば、三于七百あまうなり、其時諸士参候せしに、此蛤は何程あらんと問せ給ふ時、各有功の人々、二万或一万五千などゝ申す、勝千代殿仰らるゝは、人数は多くなき物ならん、五千の人数お持人は何おいたさんも、まゝなりと仰ら、れしお、きくほどごとの人、したおふるはぬ者はなし、〈○下略〉