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古事記伝

蛤貝比売は宇牟岐比売(うむぎひめ)と訓べし、其故は、書紀に、景行天皇東の国お巡り賜し時、そこの海の白蛤姓氏錄には大蛤とありお膾に作て奉りしこと見ゆ、此れお字牟岐(うむぎ)と訓めり、さて和名抄仁は、蚌蛤一名含漿、和名波万久理(はまぐり)、海蛤、和名宇無木之力比(うむぎのかひ)、文蛤、和名伊太夜加比(いたやがひ)と分けて出せれども、蛤と雲は、波万具理の類の介虫(かひ)どもの総名にて、〈右の三漢名は、彼国にても互に、混(まがひ)て、詳には分らざれば、此方にても、古人の心々に当つらむなれば、必しも右のまゝに定むべきにもあらず、〉右の三の和名の中に、宇牟岐(うむぎ)ぞ蛤の古き名なる、〈○註略〉字鏡にも、蚶〓 〓などの字お、いづれも宇牟岐(うむぎ)と記して、余の二の名は凡て見えず、〈されば本は凡て宇牟岐(うむぎ)と雲しお、やゝ後に其中にて、小きお浜栗(はまぐり)とつけ、大なるお本のまゝに呼び、文(あや)あるお板屋貝(いたやがひ)とぞつけゝむ、板屋貝とは、其文の板屋根の葺目(ふきめ)に似たる故の名なるべし、さて又後にはつひに宇牟岐(うむぎ)てふ名は亡(うせ)て、大小凡て波万具理と雲なりけり、○中略〉出雲風土記に、神魂命御子宇武賀比売命と雲見ゆ、〈○註略〉さて右の二比売は即蚶貝と蛤貝とお雲なり、さるお比売と雲るは、雉お鳴女(なきめ)と雲、魚名にも、赤女、口女、鯛女など、皆女の定に雲る、凡ての例ともすべけれど、此はたゞ女(め)と雲ずして、比売と雲るは、今の功お美称て神とせる名なり、