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古事記伝
十六
比良夫貝は、古へ世に多かりし物とおぼしくて、人名に負る、書紀続紀にいと数多見えたり、〈○註略〉然るに和名抄などに見えざるは、後に名の変れるにやあらむ、〈(中略)今の世に月日貝(○○○)と雲あり、殻(から)のさま、月日に似たり、是れなどにや、そは比良(ひら)は平(ひら)、夫(ぶ)は日(び)に通ひて、干日(ひらび)の意かと思へばなり、又多比良岐(たひらぎ/○○○○)と雲貝あり、岐(ぎ)は賀比(がひ)の切たるにて、平貝(たひらがひ)の意にて、是れにや、又佐流煩(さるぼ/○○○)と雲貝あり、猨溺(さるおぼ)らしてふ意にて、此の故事に依れる名にて、是れにや、されどこれら皆其名につきて思ひよれるままに、こゝうみに雲のみな、り、かくて後に、志摩の国の海辺の人に、此の貝の事問けるに、雲く比良夫貝は、月日貝のことなり、此のわたりの海に、いと希にある物なりとぞ雲ける、なほ国々の人に尋問はゞ、今も古の名の残れる処も有るべきなり、さて今飯高郡の海辺に、平生と書て比良於(ひらお)と呼村あり、壱志郡の堺に近くして、阿坂村より一里半ばかり東なり、これ若ぐは占は比良夫にて、此の貝の此の故事より出たる地名にはあらざるか、神鳳抄に、平生御厨とある処なり、〉