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袖中抄

あまのまてがたいせの海のあまのまてがたいとまなみながらへにける身おぞうらむる
顕昭雲、あまのまてがたとは、あまのまてと雲かひつものとること也、あまのまくかたとかけ る本もあれど、多本にまてとかきたれば、それにつきて釈すべし、
しほのひたるかたにて、まておとるには、まてかりといふ、かねのさきほそきお、ふたまたにつ くりて、竹おつかにほそうして、すげてもちて、まつくはにて、すなごのうへおひけば、まてのあ なよりしるおはきいだせば、そこにまてかりおさしいれて、ひきいだしてとり〴〵すといへ り、
またくはならねど、上手はふぐせにてもすなごおかけば、しるおばはきいだすといへり、秋冬 春とるとぞ申す、夏はまてよこさまになりてあればとらず、まてはおほやうあなにたてざま にある也、さればきはめていとまなくうるさきことにてあれば、まてがたいとまなみとはよ めるにや、まてとるともいはぬそこゝうえねど、まくかたといふ義もすなごまくともいはね ば、それはおなじ事なり、和泉式部歌雲、よさのうみのあまのあまたのまてがたにおりやとる らんなみのはななみ、但此後撰の歌おぼつかなし、てとくと書たがへつべし、此式部歌もまく かたおまてかたとかきなしたるやらんもしりがたし、亀鏡集といふ文は、伊勢の室山の入道 が撰也、以此歌入馬蛤歌、甲虫類也、
或人まてかたといふに付て、まく形といふは、いはれず、まて潟と可書也、彼入道、伊勢海の辺に て、能知案内歟、
奥儀抄雲、あまはしほやくとては、しほひのかたのすなごおとりて、すゝぎあつめて、そのし るおたれてやくなり、さて又そのすなごおば、もとのかたにまき〳〵するお、あまのまくか たとはいふなり、しほひのまにいそぎて、いとなめば、いとまなき事によせて、いとまなくて ひさしくとはざりけるみおなむうらむるとよめる也、
斎宮女御集雲、まくがたにあまのかきつむもしほぐさけぶりはいかにたつぞとやきみ、
私雲、まてがたといふは、まてとるとも聞えたり、まくかたといふは、なにおまくともきこえず、又しほだるともやくともいはねば、何事共きこえずや、此女御の歌ぞ、しほやくとはきこえたる、但証本お見るべし、