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日本山海名産図会


制長鮑(のし)〈○註略〉
先貝の大小に随ひ、剥べき数葉お量り、横より数々に剥かけ置て、薄き男にて薄々と剥、口より廻し切る事図のごとし、〈○図略〉豊後豊島(てしま)薦に敷き並らべて乾が故に、各筵目お帯たり、本末あるは、束ぬるが為なり、さて是おのしといふは昔は、打鰒とて、打栗のごとく打延し、裁截などせし故に、のしといひ、又干あはびとも雲へり、
又干鮑、打あはびともに、往昔の食類なり、又薄鮑とも雲へり、江次、第忌火御飯の御菜四種、薄鮑、干鯛、鰯、鯵とも見へたり、今寿賀の席に、手掛或はかざりのしなどとして用ゆることは、足利将軍義満の下知として、今川左京大夫氏頼、小笠原兵庫助長秀、伊勢武蔵守満忠等に、一天下の武家お十一位に分ち、御一族大名守護外様評定等の諸礼に附て、行はせらるより起る事三儀一統に見えたり、往昔は天智帝の大嘗会に、干鮑の御饌あり、延喜式諸祭の神供にも悉く加へらる、第一伊勢国は本朝の神都にして、鎮座猶多し、故に伊勢に制する所謂(ゆえん)、又は飾物にはあらずして、食類たることも知るべし、〈○下略〉