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今昔物語
二十四
慈岳川人被追地神語第十三今昔、文徳天皇の失させ給へりけるに、諸陵お点せむが為に、大納言安倍安仁と雲ける人承はりて、其事お行ひけり、お引具して、諸陵の所に行く、其時に慈岳の川人と雲陰陽師有けり、道に付て、古にも不恥世に並無き者也、其お以て、諸陵の所お点して事畢ぬれば、皆返りけるに、深草の北の程お行くに、川人大納言の許に近く馬お打寄せて、物雲はむと思たる気お見ぬ、大納言耳に聞けば、川人が雲く、年来墓々しくは非とも、此道に携て仕り、私お〓つるに、未だ誤つ事無かりつ、而るに此の度大きに誤候にけり、此に地神追て来にたる也、其は貴殿と川人とこそ、此罪おば負つらめ、是は何か為させ給はむと為る、難遁き事にこそ侍ぬれと、極く騒たる気色にて雲お聞くに、大納言総て物不思え成ぬ、隻我れは此も彼も不思え、助けてよと雲ふ、川人が雲く、然りとて可有き事にも非ず、試に隠し可給き事お構へむと雲て、後に後れぬる人、皆前に行けと勧めて遣りつ、而る間、日暮ぬれば、暗き交に大納言も川人も、馬より下て、馬おば前へ遣て、隻二人田の中に留て、大納言お居えて、其上に田に刈置たる稲お取積て、川人其の廻お密に物お読給つヽ返し廻りて後、川人も稲の中お引開て、這入て、大納言と語て居ぬ、大納言、川人が気色極て騒ぎわなヽき篩ふお見るに、半は死ぬる心地す、此て音も不為して居たる程に、暫許有て、千万の人の足音して過ぐ、既に過て行ぬと聞つる者共、即ち返来て物雲ひ騒ぐなるお聞けば、人の音に似たりと雲へども、に人には非ぬ音お以て雲く、此者は此程にこそ馬の足音は軽く成つれ、然れば此の辺お集ふ隙無く、土一二尺が程お堀て可求き也、然りとも否遁れ不畢じ、川人は古の陰陽師に劣ぬ奴なれば、 にて否不見様に構へたる、然りとも、奴おば失てむや、吉く と喤る也、然れども敢て不候ぬ由お口々に雲騒けば、主人と思しき人、然りとも否隠れ不畢じ、今日こそ隠るとも、遂には其の奴原に不会様は有なむや、今来らむ、十二月晦の夜半に一天下の下は土の下、上は空、目の懸らむお際として求めよ、其奴原何にか隠れむ、然れば其夜可集き也、然て 出さむと雲て去ぬ、其後大納言川人走上て出ぬ、我にも非ずして、大納言の雲く、此れお何かせむとすと、雲つる様に求めば、我等は可遁き様無し、川人が雲く、此く聞つれば、其夜露人に不被知して、隻二人極く隠れ可給き也、其時近く成て委くは申し侍らむと雲て、川原に有ける馬の許に歩より行て、各家に返ぬ、其後既に晦日に成ぬれば、川人、大納言の許に来て雲く、露人知る事無くて、隻一人二条と西の大宮との辻に暗く成らむ程に、御座会へと、大納言此お聞て、暮方に成る程に、世中の人も騒しく行き違ふ交に、隻独り二条と西大宮との辻に行ぬ、川人兼て其に待立ければ、二人打具して、嵯峨寺へ行ぬ、堂の天井の上に掻上て、川人は呪お誦し、大納言は三満お唱へて居たり、然る間、夜半許に成る程に、気色悪くて、異る香有る風の温かなる吹て渡る、其程地震の振る様に、少許動て過ぬれば、怖しと思て過ぬれば、鶏鳴ぬれば、掻下て未だ不明る程に、各家に返ぬ、別る時に、川人大納言に雲く、今は恐れ不可給、然は有れども川人なれば、此は構て遁れぬるぞかしと雲て去にけり、大納言、川人お拝してぞ家に返にける、此れお思ふに、尚川人止事無き陰陽師なりとなむ語り伝へたるとや、