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源平盛衰記

清盛息女の事抑此成範卿とは、故少納言入道信西三男也、桜町中納言と申事は、優に情深き人にて、吉野山お思出して桜お愛し給ひけり、室の八嶋より帰上後、町の四方に吉野の桜お移植、其中に屋お立て住給ければ、見人此町おば樋口町の桜町と申けり、又は此の中納言、桜の名残お惜て、立行春お悲み、又こん春お待わび給しかば、異名に桜町中納言ともいへり、殊に執し思はれける桜あり、七日に咲散る事お歎て、春ごとに、花の命お惜て、泰山府君お祭られける上へ、天照大神に祈申させ給ければ、三七日の齢お延たりけり、されば角ぞ思つヾけ給ひける、 千早振現人神のかみたれば花も齢はのびにけるかなと人の祈実ありければ、神の霊験あらたにして、七日中に咲散花なれ共、三七日まで遺あり、君も御感有て、花の本には此の人おぞすべきとて、勅書に桜町の中納言とぞ仰ける、