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宇治拾遺物語
十四
今はむかし、御堂関白殿〈○藤原道長〉法成寺お建立し給てのちは、日ごとに御堂へまいらせ給けるに、しろき犬お愛してなん、飼せ給ければ、いつも御身おはなれず、御ともしけり、ある日、例の如く御ともしけるが、門おいらんとし給へば、このいぬ、御さきにふたがるやうに吠まはりて、内へいれたてまつらじとしければ、何条とて、車よりおりて、いらんとし給へば、御衣のすそおくひて、引とゞめ申さんとしければ、いかさまやうあることならんとて、榻おめしよせて、御尻おかけて、晴明にきとまいれとめしにつかはしたりければ、晴明則まいりたり、かゝることのあるは、いかゞとたづね給ければ、晴明しばしうらなひて申けるは、これは君お呪詛し奉りて候物お、道にうづみて候、御越あらましかば、あしく候べき、犬は通力のものにて、つげ申て候なりと申せば、さてそれはいづくにかうづみたる、あらはせとの給へば、やすく候と申て、しばしうらなひて、こゝにて候と申所おほらせてみ給に、土五尺ばかりほりたりければ、あんのごとく物ありけり、土器お二うちあはせて、黄なる紙捻にて、十文字にからげたり、ひらひてみれば、中にはものもなし、朱砂にて一文字おかはらけの底にかきたるばかりなり、晴明がほかには、しりたるもの候はず、もし道摩法師やつかまつりたるらん、報じて見候んとて、懐より紙おとり出し、鳥のすがたに引むすびて、呪お誦じかけて、空へなげあげたれば、たちまちにしらさぎになりて、南おさしてとび行けり、この鳥のおちつかん所おみてまいれとて、下部おはしらするに、六条坊門万里小路辺に、ふりたる家の、もろおり戸の中へ落入にけり、則家主老法師にてありける、からめとりてまいりたり、呪詛のゆへお問るゝに、堀川左大臣顕光公の語おえて仕たりとぞ申ける、このうへは流罪すべけれども、道摩がとがにはあらずとて、向後かゝるわざすべからずとて、本国はりまへおひ下されにけり、この顕光公は、死後に怨霊と成て、御堂殿辺へは、たゝりおなされけり、悪霊左府となづく雲々、犬はいよ〳〵不便にせさせ給ひけるとなん、