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北条五代記

北条氏康和歌の事或夕つかた、高楼にのぼり、すゞみ給ひける時に、其近辺へ、狐来て鳴つるお、御前に候する人々、あやしみけれ共、兎角いふ人なし、梅窓軒と雲者申けるは、むかし頼朝公、信州浅間見はら野の御狩に、狐鳴て北おさして飛さりぬ、人々是おとゞめんとて、矢筈お取ておつかけしかどもにげ過ぬ、頼朝公御覧じ、秋の野の狐とこそいへ、夏野に狐鳴事不審なり、誰か有歌よみ候へと仰下されければ、工藤祐経承りて、誠に昨日の御狩において、梶原源太景季が歌には、鳴神もめでゝ雨はれ候ひぬ、是にも歌あらばくるしかるまじ、誰々もと申けれ共、よむ人なかりしに、武蔵の国の住人愛甲三郎季隆、いだけだかになりうかべるいろ見えしが、やがて、夜ならばこう〳〵とこそ鳴べきにあさまにはしるひる狐かな、と申ければ、君聞召て、神妙に申たり、〈○中略〉愚老、和歌の道お学びとくおよばぬまでも案じて見候べきおと申、氏康きこしめし、夏狐鳴事珍事なり、皆々歌お案じ、出来次第に一首仕るべしと仰有ければ、各々案ずる体見えけれ共詠人なし、やがて氏康公、夏はきつねになく蝉のから衣おのれ〳〵が身の上にきよ、とよみ給ひしに、夜明て見れば、其狐の鳴つる所に死て有けり、皆人奇妙不思議也と感じあへり、〈○中略〉氏康いはく、我数度の合戦に、勝利お得る事、武力のいたす所に非ずたゞしかしながら天運全して、神明仏陀の応護にかゝるが故也と神仏お信敬し、諸寺諸社お建立せり、