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提醒紀談

符字世に、〓擡〓〓(○○○○)の四字お書して、怪我除の護符とす、その験あること、人のしるところなり、さて此符字の伝へ、一条ならず、或記に、完永二年三月晦日に、将軍家狩したまふに、御鷹大なる雁お捕りけり、その雁の胸に、四の字あり、その文字は、袷〓〓〓と、かくの如くなり、実に不思議なることなりと見えたり、次にまた完文八年に、紀州に住める鉄砲師吉川源五兵衛といふ人、江戸に居ける日、大宮鷹場の中、吉野村といふところにて、白き雉子お覘すまして打たれども中らず、さればやうやう、機檻にて捕へ得たり、その雉子の背に、〓擡〓〓の文字あり、思ふに此文字こそ、定めて怪我除けの符ならんかとて、角にこの字おしるして、打試みるに、幾度打ども中らず、〈大久保酉山翁筆記〉といへることあり、又天明二年の春、新見某、九段坂お馬にて通りけるに、落馬して、数十丈の深き牛が淵にまろび墜たれども、人も馬もいさゝか傷ことなし、されば衣服お改るまでにて、事故なかりき、此事お聞人、いとも不思議なることとて、尊き護符にても持たれしやと尋ね問ければ、さればよ、或年、吾領知にて、雉子お一羽射とめんとしけるに、その矢それて中らず、再び射れども中らず、かゝればさま〴〵思ひお廻らし、術お以て捕え得て見るに、翼に四の文字あり、今その字お記して懐中せり、その験しにてもあるべしと雲〈耳囊〉とあり、何れも正しき記録なれば、信ずるに足れり、