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栄花物語
十二玉村菊
大将殿〈○藤原頼通〉日頃御心ちなやましくおぼさる、御風などにやとて、御ゆゆでせさせ給ほおきこしめし、御読経の僧ども、番かゝずつかうまつるべくの給はせ、明尊阿闍梨、夜ごとによいつかふまつりなどするに、さらに御心ちおこたらせ給さまならず、いとゞおもらせ給、みつよし、よしひらなどめして、物とはせ給、御物のけや、かしこき神のけや、人の呪詛など、さまざまに申せば、神のけとあらば、御修法などあるべきにあらず、又御物のけとあるも、まかせたらんもおそろしなど、かた〴〵おぼしみだるゝに、たゞ御まつり祓しきり也、〈○中略〉僧達、皆しめりて候、大将殿には、御ゆなどまいらせ給て、うへのおまへ、たゞちごのやうにいだきたてまつらせたまへり、いみじうおぼしめしたる事かぎりなし、御ものゝけ、とのちかくよらせ給へと申せば、よらせ給へれば、おのれは、よに侍しに、いとしれたりなどは、人おぼえずなん侍し、又あは〳〵しく人中に出きてきこゆるに、いとめづらしくあることなれど、此かなしさは、おとゞもしりたまへればなむ、この大将お、おのが世に侍しおり、心ざしありて、いかでなど思ひ給へしかど、いのちたえて、かくてはべるにこそあれど、あまがけりても、このわたりお、片時さりはべらず、いとつみふかからぬ身に侍れば、なにごとも、みな見きゝてなんはべるお、此大将お、やむ事なきあたりにめしいれられぬべくおぼしかまふめるお、ひごろやすからぬ事と思ひ侍れど、さはれ、たゞまかせきこえて見んとおもひ侍に、いとやすからぬことにおぼえて、みづから聞えんとばかり思ひしに、いとおしく、此君のかくおどろ〳〵しくものしたまへば、いと心ぐるしくてなむ、かくきこゆるとの給はするは、故中務宮〈○具平親王〉の御けはひなりけりと、心えさせ給つ、との〈○頼通父道長〉かしこまり申させ給て、すべて返々ことはりに侍れば、かしこまり申侍、されどこれは、このおのこのおこたりにも侍らず、又みづからのする事にも侍らず、おのづから侍こと也と申させ給へば、いかに、さはこはかなしくおぼすやと、せめてたび〳〵申させ給、この事お、ながくおぼしたらねどなるべし、殿の御まへに御覧ぜよ、げにさる事侍らばと、ことはりのよし、たび〳〵申させたまへば、さは今は心やすくまかりなん、さりとも、そらごとはおとゞし給はじとなむおもひ侍、もしさらば、うらみ申ばかりとて、さりぬべき法文のあはれなる処うち誦しなどし給、まことに、たがふ処なくて、しばしうちねてさめぬ、名ごりもなく、御心ちさはやかにならせ給ぬれば、〈○下略〉