[p.0091]
梅園日記

当梁年結毦録雲、百練抄に梁年の字あり、何なること知れ難し、某入道公、隋書お閲し玉ふに、梁年は酉年なりと有る由、或人雲、東方蒼竜箕星、一名梁星と雲、本邦の故事に、歳酉にあれば、宮室お営造せずとなり、〈○中略〉按ずるに、正史の隋書中に、梁年は酉なるよしおいはず、隋の書といふことにや、隋人蕭吉が五行大義に、右白虎、大梁之文とあり、右白虎は西方にて酉なり、但百練抄の文お、梁年に当るとよみしは非也、当梁年とよむべし、さて当梁年は、なべての酉にはあらず、己酉也、〈百練抄なるもみな己酉なり〉又己酉のみにもあらず、戊子、己卯、戊午も当梁なり、其事は日法雑書雲、犯土、造作凶事、戊子、己卯、戊午、己酉、名当梁、〈余子、午、卯、酉、無忌、〉凡天地梁柱及当梁年、忌正堂正寝上梁竪柱、余屋舎無忌、〈出新撰陰陽書〉とあるにて明らか也、