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源平盛衰記
二十八
頼朝義仲中悪事木曾と十郎蔵人と一に成て、義仲、平家に親みて、頼朝おそむかば、由々敷大事、人に上手せられぬ前に、木曾お討んとて、十万余騎にて打立給ふ、今日は坎日(かんにち/○○)也、如何ん有べきかと評定あり、佐殿〈○頼朝〉宣ひけるは、昔頼義朝臣、奥州の貞任が小松館お責給ける時、今日往亡日(わうまうにち/○○○)也、明日可遂合戦かと被定けるお、武則、先例お勘て雲、周武王合戦に勝事往亡日お不避、勇士は以得敵為吉日申て、小松館へ押寄て、忽に貞任お誅して、勝事おえたりき、況や坎日おや、先規お思ふに吉例也と宣ひければ、可然とて十万余騎、上野と信濃との境なる臼井坂おぞ越給ふ、