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北条五代実記

成田松田隠謀露顕之事さて又、松田尾張守入道が内通して、六月〈○天正十八年〉十五日、彼が持口より人衆お可引入由議定す、同十四日の晩、一味の輩笠原新六郎、二男松田左馬助、三男弾三郎、内藤左近、太田肥後守おふるまい、尾張守新六郎此事お語り、面々其用意おせよ、明日長岡越中守、池田三左衛門、堀久太郎が人衆お、我らが役所へ引入べき由し申す、二男左馬助大に驚き、こはそも何事にかやうに浅間敷事被仰候哉、普代相伝の主お傾け、何程の栄花おか可開、隻思召し留り玉へと、にが〳〵しく申す、新六郎お始め、父入道大にいかり、かやうに思立も、女等お世にあらせんと思に有り、不孝の申しやうかなと、以ての外に腹立す、左馬助、迚も此事おとまるまじと思ひければ、先づ申しのべんと思ひ、しからば御同心申すべし、さりながら十五日は不成就日(○○○○)なり、十六日の夜に被成可然と申す、当座の人々可然とて延にけり、