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闇の曙

近年、不成就日と雲事おいひ流行(はやし)、中には殊外に忌嫌ふ拙夫多し、先年、長崎に何某といふ人有、彼地にて、おとなといふ役お勤む、京都の宿老といふに同じ、されども京の町々の宿老と違ひ、長崎のおとなは、公儀より役料被下、日々に御奉行所へ出勤する也、此人、不成就日お忌事甚し、然れ共役中なれば、毎日御奉行所へ出勤闕ことならず、式日など不成就日にあたれば、至て難儀におもひ愁ひ、衣服も此日に著初たるはまた二度著用せず、門お出で、喪礼又は僧尼に逢ば、私宅へ帰りて出直しけり、予〈○新井白蛾〉六年以前、長崎へ遊行の時、此人訪ひ来り、己が身、しか〴〵の事おかたりて曰、自身も心ぐるしく侍れば、是迄諸先生の教訓にもあづかり、もつともとは存ながら、何分心底安魂する事なし、猶又烏鳴のあしきも心がゝりなり、今度希の御下向に侍れば、おしへお垂よと乞ふ、予が曰、心は一身の主なり、其主たるもの、さほどに凝りかたまりておもふ事ならば、此上は、猶も弥忌給ふべし、しかし人の品位お以ていはゞ、御自分より年寄衆は上たるべし、年寄より御奉行は又上たるべし、それより段々御老中迄は、一段々々に高貴なり、扠高貴の極りに付て申さば、予が若き比なり、今其年はわすれぬ、伊勢の御遷宮十一月廿一日不成就日也、又近世御即位四月廿八日、又延享の御世譲り、御本丸西の御丸とあらたまり移ります、九月廿五日、みな愚俗のいふ不成就日也、我朝に於て、此上や有、それさへもかくのごとし、足下の身柄は、何ほど貴く何ほど大切なれば、さほどに日お撰侍るや、扠また予が若き時、老人の咄に、むかし禁裏炎焼の前日より、南殿清凉殿より、南門唐門の上まで、一面に烏群り諦て、真黒に見えしとかたりき、いか様、一天の君の大宮作りの焼変なれば、天感前表お示し給はんもことわり也、其外諸侯は、其地其地の守なれば、是も又前表も有なむ歟、何ぞ卑々下々の鄙人、数にもたらぬ斗筲の人に、烏お鳴せて凶事お示し給はむには、天道も御世話つゞき申まじ、且又鳶も雀も傭て鳴せずば、烏ばかりにては行き届申まじと戯れければ、右の人、甚だ感服解悟して退きしが、其日より、妄惑の念一時にはれて、世上一様の人と成り、予が逗留中、度々訪ひ来り、此ごろは、扠々気楽になりぬとて大に悦べり、