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民間年中故事要言

庚申待国俗に庚申の日に当れば、庚申待とてする事なり、是お庚申お守と雲べし、されば庚申の事諸書に載たり、先太上感応篇に曰く、三尸の神とて、人身の中に有、人の善悪およく考て、庚申の日になれば、天の三台の星のまします所の天曹の宮に上りて、此人はこれ〳〵の悪お作りたりと具に告、其人の過大なれば十二年の命お奪、また小ければ六十日の命お奪ふ、故に長生お願ものは、庚申の日は、謹て是お辟よといへり、又酉陽雑組に雲く、凡庚申の日、三尸人の過おいふ、七度庚申お守れば、三尸滅、三度庚申お守れば三尸伏すと、また太平広記に雲く、彭は三屍の姓、常に人の身の中にいて、其者の罪おうかヾひて、庚申の日に至れば、其罪お上帝に訴、この故に仙術お学ぶ者は、先三屍お絶べし、かくの如くなれば神仙お得べしと雲々、また抱朴子に雲く、身中に三尸あり、三尸の物たる形なしといへども、実に魂霊鬼神の属なり、人お早死せしめんことお欲す、此尸まさに鬼となることお得べし、自ら遊行して人の祭お饗、是お以て庚申の日に至る毎に、すなはち天に上て司命に白し、人のなすところの罪おいふと、また修真捷径に雲く、三尸は神の名、一には彭琚は車馬衣服お好む、二に彭質は飲食お好む、三に彭矯は色欲お好む、人の生るヽ時同く生じて、三業お興して、人の速に亡んことお欲す、又曰、甲子庚申の日に当れば、夫妻共に寝ことお忌、食物清浄なれば三尸自から滅すと、又の説に、人の身にある三尸は、上尸は清姑、中尸は白姑、下尸は血姑なり、庚申甲子の日は、人の過お上帝に言と、或は雲、三尸とて禍おなす虫ありて、人の身に入て瘵疾お病しむ、この故に庚申の夜は、不寐して旦お待なり、大清経に雲く、彭侯子、常遊子、命児子、といふ文お庚申の日唱れば、其鬼よろこびて難お禳、福お与といへり、また為憲の口遊といへるものには、彭矯子、彭常子、命児子、悉入幽冥之中、去離我身、と雲文お庚申の夜唱べしと雲々、遵生八揃に、庚申お守る法お一巻載たり、此に略す、可往見、如上諸書に載て侍れども、是皆仙人の修行の法にして、仏法には沙汰もなき事なり、故に事苑に曰く、守庚申事出道家、非仏経所出、乃当知非仏法と雲々、又僧史略にも、庚申会は道士の邪法にして、釈氏は不可行と見えたり、亦神道にも非ず、〈○中略〉或人雲く、人の軀の裏に一箇の心性あつて、手足百骸の主宰たり、なんぞ三尸の神あつて、身の上に居て、人の邪悪お察せんや、是仙術おならふ者の妄説なり、日本に於ても、人民庚申お守り、堂お建、庚申の神お造、其形三面四擘にして、弓矢お羅、戈お操、其像奇怪なり、庚申の日は斎戒沐浴して、酒果お設、燭お立てこれお守て雞の鳴に至る、其説に曰く、大宝元年庚申に、此神天より摂州四天王寺に降れり、爾来敬之、守之者災お除、福お受ること無量なりと雲々、日本続紀お按ずるに、文武天皇大宝元年は辛丑の歳にて庚申に非ず、また神天より降の事なし、蓋日本紀には一草一木の異といへども必ずこれお筆す、若庚申の神の事あらば、何ぞ不載や、また按ずるに、元亨釈書寺像志に、四天王寺の事お載す、しかるに一言も庚申の事お不言、いよ〳〵庚申の事、不根事と見えたりと雲々、しかれども庚申の神お信じ、庚申の日お守、災厄お除き、福寿お得と深く信ぜば、信力より其利益お得道理あらん歟、〈○中略〉或説に庚申は、猿田彦大神の司たまふ日にて、彼大神お祭と謂、または庚は五行のなかに金なり、申もまた金に当れば、金と金と剋する日なれば、つヽしむべき日なり、此故に中に土お入て、相生の祭おすると雲り、是等の説みな附会の論鑿説なりと雲々、