[p.0158]
北条五代記

下総高野台合戦の事聞しはむかし、さがみ北条氏康と、安房里見義ひろたゝかひあり、然に太田みのゝ守、武州岩村に有て、謀叛おくはだて、義弘と一味するによつて、義弘義高父子、下総の国へ発向し、高野台近辺に陣おはる、〈○中略〉氏康、諸老お召あつめていはく、遠山富永おうたせ、無念やん事なし、時日おうつさず、一戦おとぐべしと評諚とり〴〵也、〈○中略〉氏康かさねていはく、今朝辰の刻のたゝかひおかんがふるに、敵は東方に陣し、出る日の光おかゞやかす所に、みかた西より向て剣光おあらそふ事、是孤虚(○○)のわきまへあらざるがゆへ、遠山富永勝利うしなひたるなり、然に今はや未の刻も過、東敵は入日にして、みかたの後陣に影きへぬ、時のうらなひ吉事お得たり(○○○○○○○○○○○○)、其上当年は、甲子(○○)なり、甲子は殷の紂がほろぼされ、武王は勝る年也、義弘は紂に同意し、氏康は武王に比して、かれお討ん、しかのみならず、先祖の吉例多し、〈○中略〉あまつさへ、孤虚支干相応ずる事、われに天のくみする所なり、時刻うつすべからず、無二に一戦に治定す、〈○中略〉比は永禄七年甲子正月八日申の刻(○○○)に至て、氏政軍兵、近々とおしよせ、鯨波おどつとあぐる、