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玉襷

斯て、毎年に、上より分布し給ふ、仮名暦に、歳徳明方、ことしは何方ぞと御教まして、万よしと載させ給ふ事なるが、此は唐土の暦法お用ひ給ふより、始れる事にて、暦法の書どもに、向此方万事有大幸とも、歳徳方一年間有徳方也とも見えたり、〈此お俗に歳徳神と称して、元より実神とし、或は簠簋内伝により、此は南海の竜女、婆利采女、亦名は稲田姫と申し、素盞鳴尊、亦名は牛頭天王の后神なるが、謂ゆる八将神の母神なりなど雲ふは、吉備の真備公の、始めて須佐之男命に(○○○○○○)、牛頭天王といふ名お負せて(○○○○○○○○○○○○)、暦神とせし時(○○○○○○)に、作れる妄誕なれば、取るに足らず、此由は、予別に牛頭天王暦神弁と雲ふお著して、其に委く弁へたり、〉是お以て、此正朔お奉ずる限りの人は、貴賤貧富お雲ず、誰しの家にも、正月には、其謂ゆる明方に、歳徳棚(○○○)と雲お設けて、注連お引宣し、いみ清めて、種々の物お献りて、当年の穀物の生就は更なり、幸福おも祈り白す事なるが、其祭る意ばへは、唐土の暦書の旨とは異にして、専と御年の皇神たちお祭る意なるお思ふに、此はいと古昔より、上件の由緒によりて、戸ごとに、年の始には、祭り来にけむお、分ち賜はる暦の、歳徳明方の御教令に従ひ奉り、其おうち混じての祭礼と見えて、実に然も有べき事とこそ思はるれ、〈然るは、歳徳と称ふるは、謂ゆる湯桶訓なるが、正しくはさいとくと雲べきにて、唐土の暦書どもに、歳徳の方お、年の始めに皇国にて、今祭る如く、家々にて祭るべき由お記せる書の無おもて、かくは雲なり、〉然れば、古学せむ人などは、此意ばへお、殊に慥に思ひ定めて、大年神、御年神、若年神お迎へて祭る心お以て、御鏡御酒おも供ふべきなり、 ○按ずるに、歳徳棚の事は、神祇部神棚篇に在り、