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古今要覧稿
暦占
衰日、〈徳日〉生年衰日、行年衰日、衰日は、もと五行家の説なり、皇朝にて用ひられし始、いまだ詳ならず、その衰日といふ義は、たとへば子年に生れし人ならば、子お得て王し、丑にいたりて衰ふ、故に丑お衰日とす、〈○中略〉されば今上天皇、文政九年宝算廿七におはします年は、辰戌お御徳日とし、仙洞宝算五十六におはします年は、寅申お御徳日とす、大宮御年四十八、女御御年十六、みな寅申お以て御徳日とす、今上は完政庚申に降誕まします、庚申は甲寅旬の内なれば、丙辰お以一とし順に数へて、廿七お見れば、壬午にして、乾卦にあたる、乾巽は辰戌お以て衰ふ、故に辰戌お御徳日とす、仙洞は明和八年辛卯に降誕まし〳〵き、辛卯は甲申旬の内なり、即丙戌より数へ、五十六は辛巳にして、離卦にあたらせ給ふ、大宮は、安永九年庚子なり、庚子は甲午旬の内なり、女は壬寅より数ふ、四十八は己丑にして、離卦なり、女御は文政八年乙酉なり、乙酉は甲申旬の内なり、女は壬辰より数ふ、十六は丁未にして離卦なり、即ち仙洞、大宮、女御三所共に、離臥にあたらせ給ふが故に寅申お以て徳日となさせ給ふなり、その明年廿八にならせ給ふ年は、丑未お以て徳日となさせ給ふなれば、行年衰日は、年々にかはりて一定せず、生年衰日は一定して、その人生涯かはることなし、故に行年衰日の厳なるに及ばざるお以て、遂にとゞめられしなるべし、是お徳日と称すること、またいつよりといふことお詳にせず、けだし凶事お吉事といひ、病痾お歓楽といへる例なるべし、