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宇治拾遺物語

これもむかし、大膳亮大夫橘以長といふ蔵人の五位ありけり、宇治左大臣殿〈○藤原頼長〉より召ありけるに、今明日は、かたき物忌(○○○○○)おつかまつる事候と申たりければ、こはいかに世にあるものゝ物忌といふことやはある、たしかにまいられよとめしきびしかりければ、恐ながらまいりにけり、さるほどに、十日ばかりありて、左大臣殿に、よにしらぬかたき物忌いできにけり、御かどのはさまにかいたてなどして、仁王講おこなはるゝ僧も、高陽院のかたの土戸より、章子などもいれずして、僧ばかりぞまいりける、御物忌ありと、この以長聞て、いそぎまいりて、土戸よりまいらんとするに、舎人二人居て、ひとないれそと候とて、たちむかひたりければ、やうれ、おれらよ、めされてまいるぞといひければ、これらも、さすがに職事にてつねにみれば、力及ばでいれつ、まいりて蔵人所に居て、なにとなく声だかにものいひいたりけるお、左府きかせ給ひて、このものいふはたれぞととはせ給ければ、盛兼申やう、以長に候と申ければ、いかにか計かたき物忌には、夜べよりまいりこもりたるかと、尋よと仰ければ、行ておほせの旨おいふに、蔵人所は、御所よりちかゝりけるに、くは〳〵と大声して、軽からず申やう、過候ぬる比、わたくしに物忌仕て候しに、めされ候き、物忌のよしお申候しお、物忌にいふ事やはある、たしかにまいるべきよし仰候しかば、まいり候にき、されば物忌といふ事は候はぬとしりて候也と申ければ、きかせ給て、うちうなづきて、物もおほせられでやみにけりとぞ、