[p.0235][p.0236]
梅園日記

移徙忌赤衣(○○○○○)今川大草紙雲、移徙の時、祝言の初献は、出仕の人々も、又役人以下も、赤き衣おきず、畳も白へり也、らつそく(蝋燭)盃等までも、白きお本とする也、宗五一冊雲、わたましの時は、公私ともに、蝋燭は朱おかけず候、又衣装も男女ともに白し、増鏡〈老の波の巻〉雲、六条殿の長講堂も焼にしお作られて、其ころ御わたましし給ふ、卯月のはじめつかた也、院のうへひさしの御車にて、上達部殿上人御随身、えもいはずきよら也、女院の御車に、姫宮もたてまつる、出車あまた、皆白きあはせの五ぎぬ、こき袴、同じひとへにて、三日過てぞ、色々の衣ども、藤つゝじなでしこなど、きかへられける、など見えたり、然るに世俗浅深秘抄雲、移徙夜、女房用紅袴打衣等不憚之、而中古以来憚之、知足院入道、鳥羽院御堂御所御渡夜、調進御装束并女房装束、皆不憚赤色、然而近代不用之、古今之作法異也、可依時儀事也とあれば、ふるくは忌ざりし也、されば落窪物語に、人のいとよき所えさせたるお、この十九日にわたらん、人々のさうぞくし給へ、こゝもすり(修理)せさせん、とくわたりなん、いそぎ給へとて、くれないのきぬ(絹)、あかね(茜)そめくさ(染草)どもいだし給へれば雲々、此物語つくりし頃も、家うつりに、いまだ赤色おいまざりしなり、