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天文道は、天文気色お候ひ、日月星辰の躔度お測り、変異お察し、気節お知るの術にして、推古天皇の十年、百済の僧観勒が、暦本地理遁甲等の書と共に、天文の書お貢献せしお以て、伝来の初とす、大宝令には陰陽寮の内に天文博士、天文生等お置きて之お掌らしむ、而して、往時に在りては、特に天象の変お察し、吉凶お判ずるお以て重しと為したり、故に天文密奏の事あり、天文密奏とは、天変あるとき其由お勘録し、之お密封して奏聞するお謂ふ、往時の天文学は、皆隋唐の古法に依りしものにて、久しく因襲して改めざりしに由り、徳川氏の中世に及びて、日月の蝕も推測の法と違ふ事多かりき、是に於て改暦の議大に起り、遂に斯学の進歩お致せり、当時、此学荒蕪し、天文台の設も之れ無きに由り、江戸大坂等の地に測量所お設け、尋で天明以降天文台お新設し、西洋の法お参取して観測推歩の詳密お極むるに至り、古来の面目一新して、観測器の如きも、亦往々我邦にて発明せしものあり、尚ほ暦に関する事は暦道篇お、日蝕月蝕彗星等の事は天部日月星各篇お参看すべし、宿曜道は僧侶の専ら学ぶ所の天文道にして、中世甚だ盛に行はれたり、然れども亦吉凶お判ずるお以て主とす、