[p.0249]
千年能松

算知が子算哲義、家業の碁は随分致候へども、少き時より、天文暦術に志有之候に付、家業お忽緒に致候とて、算知苦労仕候よし聞こし召され、世上暦算の術疎く、本朝久しく宣明暦御用ひ候処、推歩の術おろそかなる事に候、幸に精お入、稽古致させ候はヾ、世の為にも可相成候、碁の上手は外にもあるべく候間、其志お折き不申様出精可為致由、御意なされ候に付、算哲弥精お出し、其術お研究し、後には稲葉美濃守殿へ、算哲事改暦吟味仰せ付けられ可然旨、御送言ありしとなり、天和三年の暦に、霜月十六日、月蝕の由これあるお、算哲兼て無之由お申候処、果して月蝕これなく候、算哲義元郭守敬授時暦によりて、暦書お作り、公儀へ献上仕、貞享改暦の一挙に相成候は、偏に中将様〈○保科正之〉御言葉かヽり候故に有之、後に算哲天文方に仰せ付けらる、今の澀川家(〇〇〇〇〇)に候、依て算哲義、見禰山の神庫へ、暦書お奉納仕、今に有之候、